僕の生活とセカンドライフ。

Yaszi Mornington

2008年08月25日 14:48


よく登場するオギちゃんですが、
こないだこのブログを本人に読まれました。

「やばっ」って思ったんですが、意外と好意的に。
「朝田さん、ほんっとハマってますねぇ。
 そんな面白いなら、ちょっとやってみたいんですけど。」
「メールアドレスあればすぐできるよ。登録する?」
「あー、ちがうくって、朝田さんのちょっと触らせてもらえたらそれでいいです。」





怖いので、笑ってごまかしました。


そんなオギちゃんが
「朝田さん、便利な小箱あげますっ」
と差し出してきたのは、おそらく伊右衛門のおまけであろう
本気の小箱。ちっせぇちっせぇ。
(な、何を入れろと言うんだ…?)

「小さいんですぅ。ウフフフフー」と、オギちゃん。
しかしながら、「いらないよーHAHAHA!これは小さすぎるぜ!オギちゃん。」
なんていう返事をしたら、きっとオギちゃんの思うつぼ。

「ああ!ありがとう。ゼムクリップを入れる容器を探していたんだ。
  いやー、助かるなー。」
と答えることにしました。

おもしろくなさそうに僕を見るので、実際にゼムクリップを入れてみたところ、
これがジャストサイズ。

なんでもカバンに放り入れてしまう僕の通勤カバンの中は
小銭もクリップも、ビデオのバッテリーも、収録ミスのDVテープも、
鼻炎薬(注釈:朝田はハウスダストにめっぽう弱い)も、
目薬(注釈:目は強い。使わないまま1年くらい入りっぱなし)も、
麻雀入門書も、タスポ申込用紙も…
ともかくカオスなのでございます。
故にカバンがでかい。スリが怖いとか言ってられない出し入れ自由なバケツ型。

とりあえずクリップの類はこの小箱に入れることに決めました。
ありがとう。一つの秩序が生まれたよ。


ここまで前置き。
ええ。前置きが長いんです。

そー言えば、と最初の頃の記事を読み返してみました。
あっさり本題に入っているヤスジがいました。

顔もちょこっと違ってました。
成長、なのでしょうか。さて、どうなのでしょうか。

最近の僕はといいますと
起床後、メリケンコに苦情や質問が来ていないかハラハラしながらログイン。
ほっと胸をなで下ろしログアウト。

昼飯食いながらブログをぶらぶら。
腹一杯で、ウツラウツラ。

気を取り直して終電までに帰ろうと決意。
しかし帰り支度をしようと思った矢先に問題発生。
終電時刻0:34を横目にみながらの作業。

車の少ない246で「ヘイ taxi!」

「あ、すんません、クーラーゆるめてもらっていいですか。」
「あ、止めましょうか?」
「え、あ、いや止めるとさすがに。ゆるめるだけで。」
毎夜繰り返すこのやり取り。

時代はエコなんだぜ?暑くなけりゃ充分だろう?

同じセリフで自宅へ誘導し、ポテポテ路地を歩いて家に戻り、
ソロリソロリと自室へ入り、ぽちっとな。

やぁ、もう一つの世界。

さすがに終電後から飲みに誘える社会人は友人にも知人にもおりません。
そんなわけで僕はセカンドライフが楽しいみたいです。




「なにがそんなに面白いんですか?それって」
って聞かれてちょっと考えてみたんです。
あと、ちょっと考えてしまう出来事もあったりで。
くよくよ考えてみたんです。



いろんなRL生活してる人がいて、
いろんなSL生活を過ごしていて、
楽しみ方もいろいろあって、
関わり方もいろいろあって、
ゲームだという人もいて、
ゲームじゃないと思う人もいて、

考えているうちによく分からなくなるのはいつものことなんですが、
僕にとってのセカンドライフってのはなんだろうなーと。




よく「ぼやきだし長いので読み飛ばしてください」ってな前置きしてる記事がありますが、
アレはあんまり好きじゃない。だったら書くなよと。
けども今日は、この前置き使います。

うまくまとまらないままであり、読んでくれるかも分からないし、
伝わるかどうかも分からないけれど書きます。
いつもの調子の文章ではないので読み飛ばしてください。



僕にとって、セカンドライフは現実逃避とか気分転換とか、そんな感じ。
始める前を思い出すとホントに仕事しかなかったわけで。

家に帰ったらボケーッと深夜番組見ながらビール飲んで、寝るだけ。
だから、仕事が終わるのも今より遅くて。3時4時は当たり前みたいな。
土日はたとえ休みでも疲れて寝てるだけとか。

SL始めてからは、それが良いことなのかはさておき、
仕事をなるだけ早く終わらせようという気持ちが働くし、
家に着いてから「楽しみ」が、ビールだけじゃなくなって、
チャットだけども、なにがしかのコミュニケーションってのも加わって。
ショップジャパン見ながらのビールよりは美味しい気がしています。

テキストだから言えることがあります。
逆に伝わらないこともあります。

文章の誤解は、諦めずに伝えればかならず解けるものです。
(と、信じています。文字の力ってのは信用できるものなはず。)
だから考えてることとかっていうのは共有できる、というか。

一方で、SLに対するスタンスというのは、
共有するのは難しいように感じています。
理解することはできるけど。
大げさに例えると宗教みたいなもんで、
仏教徒の人はキリスト教徒の考え方を理解することはできても
共有は無理なわけです。(共有、って言葉がちと違うのかなー)

うー。違和感。
ちょっと訂正。理解っていっても完全理解は無理なんだ。
限りなく近づくことはできるけど。

それが面白みでもあるんです。SLのね。

ほんとはRLだって同じで人生に対するスタンスって違うんだけど
あんまり気にしてないのか、気にする必要がないのか。
きっと後者だ。

だからこそRLのコミュニケーションも面白いわけで。


つまりつまりつまり、
そのスタンスに良いも悪いもなく、否定したって始まらず、
自分との違いを認識することだけが有効なのだと思うのです。


逸れそうだ。話が。


えっと。
もっかい僕にとってのセカンドライフを考えてみると、
ゲームな部分とゲームじゃない部分と両方。

たとえば、朝田の人とナリについては、
僕のRLに支障のない範囲は、相当解放しています。
そんな風に、RLとの境界付けてない部分もあるけれど、
とはいえ、くっきり境界を持ってる部分の方が大きいと思っています。


ポンポン話が飛びますが、
きっと多くの人がそうだと思うんだけど
ゲームの中でも「情」とか「信頼」というのは存在していると思うんです。

僕が誰かに相談をしたり、誰かの相談にのったり。
僕にとってはきっとね、そこがSLコミュニケーションの熟成点とでもいうのか、
一番高いところなんです。
相談だけじゃないか。だけじゃないけど分かりやすいトコでいうとね。

真剣なコミュニケーションできたら、これ以上のことはない。
そういう関係になれたら、ヤスジはきっと幸せなのです。
別に話の中身が真面目かどうかってことではなく。
うむ。
むしろ真面目じゃないのに真剣なコミュニケーションが成立するってことが
人と人との交流の一番てっぺんじゃないかと思います。


だただらと続いていますが、
多分ね。すごく単純にしてしまえば
RLとSLは別物。って考えがあるのだと。僕のなかに。

けどもそう言いきれないのは、両方共通して
「真剣なコミュニケーション」というのが成立する土壌はあるっていう、
区別しきれない部分を感じているからなのかな、と。

似た部分もあるけど、やっぱり別物。
ヤスジは朝田の産物であって、その逆はあり得ないわけです。
あたり前っちゃー当たり前なのですが。

朝田がヤスジに渡してないものもたくさんあるわけです。

まとまる気配がないですが、
自分のなかでもまとまってないので文章にするなんざ、そもそも無理なのですけど。

それでも、ちとこの件書かないと、区切りがつかんというか。

必要だったときに僕の考えが今よりまとまってなかったことを後悔していて、
きっと逃げになっていただろうと思うと、やりきれなかったのです。


そんなわけで、これからもヤスジはこんな感じです。